唐津焼の起源と今岳窯

唐津焼の起源について、「文禄・慶長の役」後に広まったとされる説がありますが、これは、磁器の起源に当てはめられるものです。
朝鮮出兵の十年前、秀吉がひらいた吉野山の茶会記に奥高麗茶盌銘「ねのこもち」が使われている事から、天正年間(1573―1592)には始まっていたようです。

奥高麗茶盌は肥前の地で焼かれた器とされていますが、用いた土や焼成法も違い、いつ・どこで焼かれたものか未だ一部しかわかっていません。
歴史ある唐津焼は佐賀県北部に、数多くの窯が築かれ、岸岳・松浦・平戸・大村・武雄・多久系古唐津と各古窯群として分類されています。

その中には、叩き、ロクロ、押し型による成型技法、鉄絵の具を用いた絵唐津や斑唐津(わら白釉)、飴釉、黄唐津、青唐津、酸化炎でびわ色に焼成したものや白化粧を利用した刷毛目、イッチン、三島や彫り技法などさまざまです。
近年、飴釉とわら白釉による「朝鮮唐津」は朝鮮半島では焼かれておらず、中国の技術ではないかと言われだしました。
今後の発掘や古文書等の調査で新しい事実がわかる事が楽しみです。

私どもは、由緒ある松浦唐津系の古窯にかこまれたこの地、今岳(いまだけ)の里に昭和四十一年に開窯し、地名から「今岳窯」と名づけました。

古唐津の伝統を守り、美の追求に日々精進しております。そして、郷土の土とロクロに情熱を傾け、炎に信念と夢、ロマンを託して作陶しております。
唐津のざんぐりした土味と温かみのある釉膚の器は、皆様にきっとご満足いただけるものと思っております。

溝上藻風 拝

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